城跡・館跡巡りシリーズ(第11回) 花水・曲渕氏屋敷跡ウォーク

・開催日:2023年6月24日(土)

初夏の雄大な八ヶ岳連峰を前方にして、右手には迫力ある七里岩を・左手には屈指の名峰・甲斐駒ヶ岳を眺めながらの贅沢なウォーキングになります。
今回は、花水の郷・曲渕氏屋敷跡を訪れます。屋敷跡は、釜無川左岸の台地にあります。残念ながら屋敷跡らしき痕跡は見ることができないですが、屋敷跡の証である標柱が建っています。北杜市の指定史蹟になっています。
コースにおいては、釜無川を挟んで旧甲州街道の台ヶ原宿及び花水の郷辺りにしたウオーキングになります。列の間隔を余り開けないように注意していきます。 熱中症にかからない様に、休憩時間と水分補給を多めにとっていきます。
・余計な話なります。曲渕景漸(まがりぶちかげつぐ)1725〜1800年、NHKBS・タイトル(英雄たちの選択・天明の打ちこわし)放映されていました。曲渕景漸の名前が出てきます。景漸は、大阪西奉行に抜擢された後に江戸北町奉行に就任して、約18年間にわたって江戸の統治に尽力したと言われています。一時期は、幕閣内の権力争いに巻き込まれて左遷させられます。普通だと話はここで終わりになりますが、景漸はここから凄いです。当時の幕閣には景漸の才覚を高く評価していて、反対派でいたのに関わらず勘定奉行として再度幕政に参画して剛腕ぶりを発揮していきます。72歳で、要職を離れるのを願い出て辞任します。76歳で亡くなります。景漸は、祖にあたる曲渕吉景の代より数えて5代目である曲渕景衡の子にあたります。景衡は甲府城勤番の支配(追手組)に就きます。北町奉行・曲渕景漸は、一時期は火付盗賊改方・長谷川平蔵とタッグを組んで江戸の治安を守ったと言われています。テレビに放映されている鬼平犯科帳は長谷川平蔵をモデルにしています。
曲渕家の祖は、曲渕吉景になります。戦国時代より安土桃山時代にかけての武将です。かの有名な武川衆の一員であり、最初に花水の郷に館を構えました。武田家に仕えて滅亡の後は徳川家に仕えて壬午の戦い・関ケ原の戦い・大阪の陣に参戦していきます。曲渕家は、徳川将軍直属の家臣、旗本にとりたてられていきます。武川衆の一員として代々続いた家系の中では、歴史上に登場する代表的な人物には、柳沢吉保・次は曲渕景漸になると思います。
・コース:道の駅はくしゅう(トイレ)→長光寺→花水・曲渕氏屋敷跡・清泰寺→市台ヶ原宿駐車場(昼食・トイレ)→花水坂橋ふもと→旧甲州街道→自元寺→道の駅はくしゅう(トイレ)
コースマップ」「グーグルマップ
・距 離:約12km
・集 合:道の駅はくしゅう駐車場 10:00
 山梨県北杜市白州町白須1308
 ※市民バス利用の方は、日野春駅9:13→道の駅はくしゅう南9:39(1人/200円)
 ※駐車される方は、他の方に迷惑がかからない様に奥の方に駐車して下さい。
・解 散:道の駅はくしゅう 15:30
 ※市民バス利用の方は、最寄りの駅までスタップにて送迎します。
・参加費:会員300円 一般500円
・持ち物:弁当・飲み物・雨具・ウォーキングダイアリー・保険証・その他
・担当者:田中哲夫(090-4927-5044) 小林光修(090-4676-2067)

印刷用ファイル