八ヶ岳歩こう会例会案内 2019.1.21掲載

柳沢吉保公ゆかりの甲府城下町巡りウォーク第1回

甲府市は、[こうふ開府500年]タイトルにした記念事業を開催されています。それに合わせるように吉保公にかかわる勉強会等が開かれています。吉保公は、僅か20年のあいだの甲府藩主であったが、その時期が甲府は最も繁栄したと言われています。[小江戸・甲府]と呼ばれるほどでした。記念事業に合わせて、ゆかりの城下町巡りのウォーキングを実施していきたいと思います。
[棟に棟、門に門を並べ、作り並べしあり様は、是ぞ甲府の花ざかり]

・開催日 2019年10月16日(水)

・コース 甲府駅(北口・トイレ) → 三念坂 → 三の堀の名残 → 金手通り → はたる橋 → みはらし台 → 華光院 → 大泉寺 → 永慶寺跡 → 信玄ミュージアム(昼食・トイレ) → 薮田家老宅跡地? → 甲府駅(北口・トイレ)
[コースマップ][Googleマップ]
※信玄ミュージアム館内で、食事ができます。(由布姫・うどん、ソバ等)
・距 離 約10km
・集 合 甲府駅(北口・武田信虎公像前) 10:00
・解 散 甲府駅(北口) 14:00頃
・参加費 会員 300円 一般 500円
・持ち物 弁当・飲み物・雨具・ウォーキングダイアリー・保険証・その他
・担当者 田中哲夫(090-4927-5044) 木地勝男(090-1550-7451)
・その他 ・三念坂(ここで転んだりすると、よからぬ事が起きるので念には念を入れて転ばないように気を付けなさい)ということで名つけられたと謂われています。
・城下町名について 吉保公は、城下町を大々的に整備したと言われています。町名変更を指示した事例が残しています。川尻町 → 緑町 伊勢町 → 山田町等(楽只年緑堂)
・境町通り 江戸時代前期から昭和39年町名、甲府城築城にともなう新城下町造営により成立。下府中と上府中の境に位置することによりこう呼ばれました。
・横近習通り 江戸時代前期から昭和39年までの町名。甲府築城にともなう新城下町造営により成立。初め近習町、のちに竪近習町と分かれました。城下に時刻を知らせる(時の鐘)が宝永5年まで歓喜院に設置されました。
・金手 敵が攻めることを想定し、直線の道を二つの直角で曲げている様子が大工さんの使う(金尺)に似ていることから(金手)と名がついた地区です。
・三の堀跡 城を中心に内堀、二の堀、三の堀に分かれていた甲府城下町。三の堀は一番外側にあり、商人や職人が住むいわゆる下町エリヤでした。
・ほたる橋 昭和4年に建立された橋で、川辺に沢山の蛍が飛んでいたことからこの名がつけられたと謂われています。今では上流の三念橋で初夏の風流詩として、蛍祭りが行われています。
・華光院(けこういん) 上の太子堂より南アルプスが一望です。境内中腹に位置するお堂は元々は甲府城内にあったものですが、(享保9年)1724年、柳沢吉里公が大和郡山に国替えの後、享保17年に毘紗門像・聖徳太子像・弁天像と共に移転したものです。吉里公が華光院を篤く信仰しており、その内容が記された棟札が残っています。
・大泉寺 吉保公の菩提寺であった永慶寺(護国神社地から大和郡山市に移転)の山門が、総門として移築されています。信玄公の父・信虎公が自ら開基したお寺です。境内の東側に夢山稲荷があります。門に石畳等のデザインはなかなか特徴的で面白いです。
・永慶寺跡 5代将軍・徳川綱吉時代、老中首座として幕府を担った柳沢吉保公の菩提寺(龍華山、永慶寺)の建立された場所です。(享保9年)吉保公の息子、吉里公は大和郡山に国替え、吉保公は、甲州市・恵林寺に改葬される
・柳沢吉保公は、甲府藩主時代は、藩主として領内には一度も足を踏み入れていないと言われています。江戸で自ら指示を出し藩政に深く関与したと言われています。領内に残した功績ははかり知れず、吉保公の人物像が大いに見直されてきています。