八ケ岳歩こう会 例会案内 

2010・9・30


  12/2(木) 

淺川兄弟ウオーク

朝鮮の文化・民族を日本の国策として差別していた時代、 当時の日本人は気づくことがなかった朝鮮庶民の陶磁器・工芸品の美しさを日本へ紹介し、朝鮮へのその愛情によって現在も日韓の架け橋となっている兄弟です。

 明治期の山梨県八ヶ岳南麓に生まれ、日本の植民地となったばかりの朝鮮半島へ渡った浅川兄弟。そこで眼にしたのは、統治国日本による朝鮮の文化・民族へのはなはだしい蔑(さげす)みの世界でした。
 支配と抵抗の時代の中で兄弟は、朝鮮という国をあるがままに感じ、あるがままで接し、偏見から自由な位置で、兄伯教は、庶民が日常使う白磁の美しさと出会い、半島700ヶ所に及ぶ古陶磁の窯跡(かまあと)を丹念に調査・研究し、朝鮮陶磁を時系列でまとめあげました。
 弟巧は、半島の荒廃した山々の緑化に尽くし、市井の朝鮮人とよく交わり、庶民が日常使う木工品などのすぐれた美しさを知り、それを日本に伝えました。巧は1931(昭和6)年に亡くなりましたが、朝鮮の人々の共同墓地に、朝鮮の人々の嘆きの中に葬られ、現在は朝鮮の土となって、
墓参する日韓両国の人々に多くのことを語りかけています。

「韓国の山と民芸を愛し、韓国人の心の中に生きた日本人、ここ韓国の土となる」

巧が亡くなって55年後の1986年、ソウルにある巧の墓地に韓国林業試験場職員一同によって建てられた追慕碑の言葉です。現在も命日には彼を慕う韓国人が集まり墓参を行ってくれています。

・集 合 高根やまびこホール駐車場9:30
・解 散  同 15:00頃
・コース 約14km
高根やまびこホール−浅川兄弟生誕地−墓所−八ヶ岳神社(昼食)−赤岳神社−高根やまびこホール−浅川兄弟資料館見学
・参加費 会員¥200、他協会 一般¥500 
・持 物 弁当、温かい飲み物、おやつ、雨具、ウオーキング手帖
・主 催 八ヶ岳歩こう会
・担 当 風路 

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